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アジア・ユース・ピースセミナー物語


菊地 恵子

 新英研の第41回福岡大会に先立つ2004年7月末の5日間、韓国、フィリピン、ベトナムから6人の高校生と教師たち5名、計11名を迎えて行った平和のスタディ・ツアーが、アジア・ユース・ピースセミナーです。新英研では、2002年の第39回山口大会と40回筑波大会に、その目的や活動形態がたいへんよく似た「韓国英語教師の会(KETG)」のメンバーを参加者として招待しました。本年はさらにその枠を広げ、他のアジアの国の学生や教師を招き、平和のセミナーを開きたい、との構想が国際部から出されたのが、そもそもの始まりでした。
 プログラムには、長崎の高校生との交流やホームステイを組み込み、鈴木奈尾子・浦田むつみさんら、長崎新英研の協力もいただきました。全体のコーディネーターを浅川和也さん、全般的なお世話役(ツアコンダクターならびに通訳)を佐賀県出身の会員、福井星一さんが努めました。また、アジアの高校生たちの様子やセミナーを映像で記録し、平和学習用のDVDを制作することも計画しました。これには、演劇や映像編集を得意とする大阪の吉浦潤次さんが全面的に協力してくださり、東海学園大学の学生2名も助手となって活躍しました。でき上がったDVDは、クリアな映像に英語字幕が付き、各国の高校生の生の声やBGMも入った素晴らしいものです。今後の交流の資源にもなりますので、ぜひ授業等で活用していただければ、と願います。(約35分 問合せ:kasan@mac.comまで)

7月28日福岡
 日本への一番乗りは、ベトナムの古都、世界遺産にも登録されるフエ在住の教師、トーさん (Nguyen Phu Tho) と高校生、ランさん (Nguyen Ngoc Lan) で、27日午前8時ベトナム航空にて到着。里帰りしていた福井さんが出迎えました。午後にはフィリピンから、平和学で有名なミリアム大学のハスミンさん (Jasmin Nario-Galace) とその付属高校のアナさん (Anna Perfecto Canlas)、アニーさん (Annie Lorraine Joyas) の3人がマニラから到着。浅川さんが出迎えて、その夜はみなで博多の散策を楽しみました。
 翌28日、韓国から、キム、ベ、ホさんの男子高校生3人 (Kim Won-gyu, Bae Dong-In, Jo Hwan-soo)とユン、チョン、コンさんの教員3名 (Yun Hye-young, Chong Eun-ju, Kwon Hoo-nam) の計6名が釜山から高速フェリーで到着。日本側と一緒に出迎えに行ったベトナム、フィリピンの5人と博多港で合流しました。ホテルに荷物をおろし、最初のワークショップの場所「アクロス福岡」ビルの研修室に向かいます。ここでの自己紹介アクティビティをしました。各自の名前の由来や出身地、好きなものを紙に絵で表してから、部屋を動きまわり、なるべく多くの人に自己紹介しました。例えばランさんの名は "It means a white flower which has a good smell."、韓国のベさんは "Dong means east and In means kindness." という具合です。自己紹介をして、お互いにだいぶ打ち解けました。その後、ライトアップされた中川沿いを散策し夕食に向かいました。夜風が心地好く、川端の屋台の風情にも心惹かれました。

長崎の2日間
 29日の朝、JR特急で長崎へと向かいます。長崎駅では、鈴木奈尾子さんと田川さんが出迎えてくださり、駅前のホテルに荷物を預けてさっそくスタディウォークです。まずは、16世紀末の殉教者26聖人の像がある近くの丘に。海の眺めが美しく、港の光景が韓国の方たちが住む釜山に似た感じがしました。丘を降り、市電で中華街に出て、チャンポンを大皿から分けあって食べ、バスで郊外三ツ山の「恵の丘長崎原爆ホーム」へ、ここで浦田さんと合流しました。。
 恵の丘長崎原爆ホームは、社会福祉法人の純心聖母会が運営する被爆者のための老人ホームです。入所者による被爆当時の再現劇(ビデオ)のリアルさは衝撃でした。まっ赤に燃え上がる街を背景に、両親を捜して泣き叫ぶ子どもの頃の自分を、老人たちが演じているのです。被爆後、転校した山向こうの小学校で、ケロイドの姿をいじめられ、友達もできずに自殺したいとまで思いつめる姿も演じられ、彼らの心と身体の苦しみが、強く迫ってきました。グループに分かれて聴いたおばあさんたちの被爆体験も、私たちに強い印象を与えました。このホームは、マザーテレサやローマ法王も訪問したそうです。
 その後、山を下りて浦上天主堂や長崎大学医学部などを見学した後、ホテルでホームステイの家族と落ち合い、各自一夜の滞在先へと向かいました。ステイ先では、短い滞在ながら、それぞれに忘れがたい思い出ができたようです。
 さて翌30日には、まず爆心地から5百メートルの城山小学校へ向かいました。朝から真夏の日差しの中、校庭の桜の木陰で元新英研長崎支部長の廣瀬先生から、英語で嘉代子桜についての説明を受けました。当時、夏休みとはいえ小学校は武器造りの軍需工場と化し、15才の嘉代子さんはそこでの勤労動員中に亡くなったそうです。8月9日の朝、めずらしく頭が痛い、と城山小に行くのをいやがる彼女を、無理に送り出した母親が、彼女を悼んで植えた50本の桜の木が、今嘉代子桜と呼ばれ、毎春美しい花を咲かせているそうです。
 その後「長崎原爆朝鮮人犠牲者への追悼」の碑を見て、平和資料館を見学。昼食の後、爆心地公園へ。当時のグランド0の地層なども見学。ここで「核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指す 高校生一万人署名」に取り組む長崎の高校生たちと合流しました。共に噴水や平和の像のある平和公園を見学した後、近くの「被爆者の店」で交流会が開かれました。
 高校生一万人署名の説明、被爆者下平作江さん、山田拓民さんの体験談、ホームステイ家族をまじえての歓談、そして最後は歌の交流です。ベトナム語やタガログ語の歌が披露された後で、長崎の高校生たちが「故郷の春」をオリジナルのハングルで歌ったのが印象的でした。韓国の金君は冬ソナ主題歌を歌い、それから韓国の生徒と先生が一緒に、「蛙(ケグリ)の歌」を可愛い振りつきで披露してくれました。

新英研大会へ
 翌31日朝は出発まで自由行動。多くは、グラバー園や稲佐山へと出かけたものの、平和学のハスミンさんは私と一緒に「岡まさはる記念長崎平和資料館」へ。ここは、日本の戦争責任を問い、被害者への戦後補償と非戦の誓いを訴える、市民が設立した資料館です。見学していると、ユンさんと韓国の高校生たちがやってきました。高校生たちは、自分たちへの加害の歴史を誠実に展示していることを高く評価していました。ハスミンさんは、今回の経験について、こう書いています。"My second major insight is that lessons of war are best learned and healing is best attained when accounts of aggression are not concealed but are made known to the public." 「侵略の歴史が隠されることなく、人々に公にされた時にこそ、戦争の教訓は最も良く学ばれ、その癒しも為される」と。
 8月1日の新英研大会初日に、アジアピースセミナー報告会が開かれました。アジアからの参加者はみな、韓国の高校生も、英語でプレゼンをしてくれました。その内容は、HPで読むことができます。
http://homepage.mac.com/kasan/asia/
韓国の高校生のものは、日本と同じEFL環境の学生のものとして秀逸ですし、フィリピンとベトナムの高校生のライティングは、その素晴らしさに、ぜひ教材として使っていただきたく思うほどです。  
 最後になりましたが、発展途上国の人たちにとって、海外への旅は大変なことです。今回、三菱銀行国際財団の援助を得ることができたのは幸甚でしたが、これからは、新英研として独自の財源で、途上国との交流をはかることが必要ではないかと、今回の交流の素晴らしさを鑑みても、思わずにはいられません。実は今回、正式に招待できたのは、教師3名、生徒3名です。残る教師2名、生徒3名分は、自費で来てもらったわけです。その熱意に感謝するとともに、これからの交流のあり方を再考する必要があることを記して、まとめといたします。